アーバンライナーplusへとリニューアル

アーバンライナーplusへとリニューアル
1992年、東海道新幹線に速達列車として「のぞみ」が設定されたことで、名阪間のシェアは再び減少に転じた。しかし、2003年にJR東海が「のぞみ」増発と引き換えに回数券の割引率を引き下げたことや、その前年の「アーバンライナーnext」こと21020系電車運転開始の効果で、現在では名阪間の近鉄のシェアは若干盛り返している。JRとの運賃・特急料金面での優位性や、新幹線車両よりもゆとりある座席空間、新型シートの快適性などを前面に押し出して、「ゆったり感」・「リラックス感」といった快適性を軸に宣伝・告知がなされている。

「甲特急」は名古屋〜難波間を最速2時間4分で走破し、表定速度は90km/h超で日本の在来鉄道としてはかなり高速の部類に入る。なお「乙特急」の同区間所要は2時間20分前後で、こちらも表定速度は80km/hに達する。

名阪甲特急では次世代特急車両である21020系電車(アーバンライナーnext)や21000系(現在は車両更新してアーバンライナーplusへとリニューアル)が充当される。時間帯によっては伊勢志摩ライナーこと23000系電車が充当されることもある。また、2008年現在、土・休日のみ運転の増発便の甲特急のうち下り一本のみが一般の特急形車両で運転されている。乙特急は一般の特急形車両が中心であるが、時間帯によってはアーバンライナーnextやアーバンライナーplusも運用にはいることがある。

2007年10月には、運行開始60周年の記念行事が行われた。

停車駅(甲特急)
近鉄名古屋 - (津) - (大和八木) - 鶴橋 - 上本町 - 近鉄難波
停車駅(乙特急)
近鉄名古屋 - 桑名 - 近鉄四日市 - 白子 - 津 - (伊賀神戸) - (桔梗が丘) - 名張 - 大和八木 - 鶴橋 - 上本町 - 近鉄難波
(括弧書きは一部が停車)

新たな旅客需要を掘り起こし

新たな旅客需要を掘り起こし
1975年11月(平均32%・料金のみ値上げ)・1976年11月(平均50%)と2回に分けて実施された国鉄の運賃大幅値上げや、この前後に頻発していたストライキを契機として、名阪特急は運賃面での優位性を得て、乗客数が大幅増加に転じた。編成も1980年3月より3両編成基本となるなど、増結が繰り返されていった。

そして1988年よりデラックス車2両を含む6両編成を基本とする、画期的な新車である「アーバンライナー」こと21000系が「甲特急」で運行を開始。このときのダイヤ改正で最高速度が120km/hに引き上げられ、名古屋〜鶴橋間の最速所要時間は1時間59分となり、遂に大阪〜名古屋間の運転時間が2時間を切ることとなった(後に一部区間の最高速度が130km/hに引き上げられ、所要時間も1分短縮されている)。これにより「アーバン効果」と呼ばれるほどの大成功を収め、この結果甲特急の輸送実績は再び東海道新幹線開業前の水準に達した。このため「アーバンライナー」の一部編成については、中間車2両を増結して8連化が実施される程であった。また、昼間以外は大和八木、津に停車する「甲特急」列車も登場し、大和八木〜名古屋間や大阪市内〜津間で、新たな旅客需要を掘り起こした。

名古屋〜大阪間特急(名阪特急)

名古屋〜大阪間特急(名阪特急)
基本的には近鉄名古屋〜近鉄難波間を運行し、「名阪ノンストップ特急」[2]と称される近鉄名古屋〜鶴橋間無停車運行の「甲特急」と、主要駅に停車する「乙特急」とに分かれる。また、乙特急には朝方に桑名・津〜上本町間を運行するものがある。さらに甲特急の一部が、津・大和八木に停車する。この列車も「名阪ノンストップ特急」の一部として、時刻表では記載されている。

近鉄の代表列車として、基本的に名古屋・難波双方とも「甲特急」が毎時00分発、「乙特急」が30分発のダイヤが組まれている。

系統自体は、近鉄有料特急の中では最も古く1947年10月に登場しているが、全区間直通運転開始は1959年12月である。それまでは大阪線と名古屋線の軌間の相違が原因で、伊勢中川での乗換えを余儀なくされた。なお、乙特急は一時「準特急」と称された時期がある。

近鉄特急の中では花形列車とされるが、東海道新幹線が開通した1964年10月以降の約12年間は所要時間で勝負にならず料金的にも優位性が無かったため、名阪特急は不振を極めた。特に新幹線と直接競合する「甲特急」は大打撃を受け、2〜3両編成で細々と運行され、一時は単行運転が真剣に検討される有様であった。このため、私鉄総連によるストライキの際、列車運行のストは行わない近鉄の中で、利用客が少ないことから唯一の例外とされていたこともあった。

京都線

京都線は、1928(昭和3)年、11獅R日、「奈良電気鉄道」の手でまず桃山御陵前〜西大寺間が開業、同年15日に全通しました。奈良電気鉄道は本来、京阪電鉄色の濃厚な会社でしたが、創業時から大阪電気軌道と相互乗入れを行い、京都と奈良を結びました。

第2次大戦後は京阪電鉄とも相互乗入れを始め、奈良〜京阪三条・京都〜京阪宇治・京都〜枚方公園など、多彩な区間を電車は走りました。近鉄が買収したのは案外に新しく、1963(昭和38)年10月のことです。京都〜橿原神宮(現橿原神宮前)間がこうして1本の線で結ばれ、翌年の東海道新幹線の開通によって、東京からも京都経由で奈良や橿原への足が確保されました。

京阪電鉄線七条駅付近、奈良電気鉄道デハボ1015 1960(昭和35)年9月


竹田駅を出発し地下鉄に進入する当社車両 1952(昭和27)年7月
京阪電鉄との相互乗入れは、1968(昭和43)年12月20日で中止。1988(昭和63)年8月28日からは、京都市営地下鉄烏丸線との相互直通運転(北大路〜新田辺間25.9キロ)を開始しました。これにより、当社沿線と京都市の中心街を直結する新しい輸送機関が実現し、交通利便の向上に大きく寄与しました。その後、烏丸線は1990(平成2)年10月24日北山〜北大路間が、さらに1997(平成9)年6月3日北山〜国際会館が開業され、これに伴って、当社との相互直通運転区間が国際会館〜新田辺間29.7キロに延伸されました。

京都線沿線では、住宅地開発が盛んに行われ、国家的プロジェクト・関西文化学術研究都市の建設なども進められています。沿線人口の増加に備え、1972(昭和47)年11月22日高の原駅、1979(昭和54)年3月30日向島駅、1993(平成5)年9月21日近鉄宮津駅、1994(平成6)年9月21日木津川台駅がそれぞれ開業しています。
木津川台住宅地 
京都線山田川駅付近


沿線のみどころ(最寄駅)
東寺(東寺)、一休寺(新田辺)、京都フラワーセンター(狛田)、城南宮(竹田)、伏見稲荷(桃山御陵前)、宇治平等院(大久保)、大御堂観音寺・蟹満寺(三山木)

思い出の車両 モ430形

地上駅当時の奈良電気鉄道京都駅で発車を待つデハボ1000形
1952(昭和27)年3月5日
1928(昭和3)年、奈良電気鉄道(現京都線)が開業時に新造した半鋼製電車。当時の形式はデハボ1000形と称し、車体は両運転台の17メートル長の片側3扉で、当時カウキャッチャーが取り付けられていました。1963(昭和38)年の合併後モ430形に改称し、京都線を中心に運用しました。

■おもな電車

3200系

京都市営地下鉄烏丸線との相互直通運転用に1986(昭和61)年投入。制御装置に量産型のVVVFインバーターを採用するなど、その後の近鉄通勤車の基本となりました。

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、“古都京都の文化財”の一部として世界遺産に登録されている。山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来浄土宗と天台宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は藤原頼通、開山(初代住職)は明尊である。

伊賀線

1916(大正5)年W月、伊賀軌道として伊賀上野〜上野町(現 上野市)間を開業。翌年、伊賀鉄道と社名を変更。1922(大正11)年7月には上野町〜名張町(後の西名張)間を開通し、ほぼ現在の伊賀線が出来あがりました。開業当時は蒸気機関車でしたが、1926(大正15)年5月、全線電化を完了しました。昭和初期には日本最初といわれるディーゼルカーが1両活躍していたということです。

伊賀鉄道は、電化を機に社名を伊賀電気鉄道と変更。当時建設が進んでいた参宮急行電鉄のルートに位置することから、1929(昭和4)年には大阪電気軌道と合併。伊賀線のうち伊賀神戸〜西名張間(9.7キロ)は大阪線と並行するため、1964(昭和39)年、廃止されました。
貨物輸送に活躍した電気機関車。
後の当社デ8

沿線のみどころ(最寄駅)
鍵屋の辻(西大手)、上野城・上野公園・伊賀忍者屋敷(上野市)、芭蕉生家(広小路)、蓑虫庵(茅町)、丸山城跡(丸山)、城之越遺跡(比土)


思い出の車両 モニ5181形
1926(大正15)年5月、伊賀鉄道(現 伊賀線)が電化時に新造した半鋼製電車。当時の型式はデハニ1形と称し、車体は両運転台付、15メートル長の片側2扉で、運転室の後には荷物室が設けられていました。1941(昭和16)年にはモニ5181形に改称し、1977(昭和52)年の廃車までほとんど大きな改造なしに運用されました。
上野市駅に停車中のモニ5186
―モニ5184。
1955(昭和30)年9月11日

■おもな電車

860系
伊賀線車両の近代化を図るため、奈良線820系に南大阪線6800系の狭軌台車、主電動機を組み合わせて、1984(昭和59)年より2両4編成を移籍。1986(昭和61)年、奈良線800系も同様の改造を行い、880系として移籍。1993(平成5)年、田原本線で運用していた820系3編成の冷房改造を行ない、860系として移籍。880系を廃車し、860系で伊賀線の冷房化が進められました。

"にんぱく"に本物の忍者が出現!!いっしょに忍術を学ぼう!
忍者アクションショー
●入館及び見学料金等のご案内
[忍者博物館]忍者屋敷・忍術体験館・忍者伝承館
個人 大人700円、小人400円
団体(30名以上)大人600円、小人300円
障害者割引 大人400円、小人200円
※ 仕掛け、からくりは忍者に扮した当館の案内係が随時ご案内しています。
※ 障害者割引の場合は、手帳のご提示が必要です。
※ 障害者割引の団割はありません。

[忍者アトラクションショー]
お一人 200円
※ 開演日は、3月下旬から11月中旬頃までは毎週火曜日を除き開演、12月から2月までは土・日・祝のみの開演です。
※ 屋外で開催しておりますので、開演日であっても天候や、その他開演に支障がある時は休演や時間を変更する場合があります。
※ ショータイムは11時から15時までの間1時間ごとに15分間です。ご予約があれば時間外でも見学が可能です。ただし、博物館開館時間内に限ります。
※ 団割はありません。
※ クーポン券のお扱いは出来ません。

[手裏剣打ち体験]
個人 大人200円、小人200円
※ クーポン券のお扱いは出来ません。

※ 忍者アクションショーは、忍者博物館にご入館のお客様が別途料金をご負担いただいてご覧いただけるものです。ショーだけというのはご覧いただけませんのでご了承ください
※ 忍者アクションショーは、雨天は中止の場合があります。
※ 忍者アクションショーは、やむなく休演する場合があります。団体の場合は事前ご予約、お問い合わせをお勧めします。

〒518-0873
三重県伊賀市上野丸之内117番地(上野公園内)
伊賀流忍者博物館
TEL:0595-23-0311 FAX:0595-23-0314

名古屋線

全区間が平坦な伊勢・濃尾平野をはしる名古屋線は、近鉄では大阪線に次ぐ延長を誇る幹線路線。1915(大正4)年、一身田町(現 高田本山)〜白子間を伊勢鉄道が蒸気列車で開業して以来、複雑な歴史を経て現在に至っています。
昭和元年電化完成当時の伊勢電津新地駅

伊勢電の諏訪駅(現@四日市駅の前身)
伊勢鉄道は開業後、逐次路線を延長して1924(大正13)年4月までに津新町〜四日市間を全通。1926(大正15)年9月伊勢電気鉄道と社名を改め、同年(昭和元年)12月全線を電化。次いで1929(昭和4)年1月四日市〜桑名間を開通。翌年には津新地〜大神宮前間が開通して、桑名〜大神宮前間で特急が運転されました。その後経営危機に陥り、1936(昭和11)年参宮急行電鉄に合併されました。

桑名〜名古屋間は昭和11年創立された関西急行電鉄が当たり、関急線桑名〜名古屋間23.7キロを1938(昭和13)年6月26日開通。同時に参急線津〜江戸橋間1.1キロも開通し、江戸橋を標準軌と狭軌の接続駅として上本町〜名古屋間189.5キロが全通、同日から名阪を3時間で結ぶ日本一の長距離電車の運転を開始しました。
しかし、江戸橋接続は利用客や車両運用的にも不便が伴うため半年後の12月、中川〜江戸橋間を狭軌化、接続駅を中川に変更しました。なお、名古屋線の一部と山田線に並行していた伊勢電鉄は参急と合併後、参急伊勢線(江戸橋〜大神宮前)に改称。永らく一つの会社内で伊勢へ2ルート、という変則事態が続きましたが、1961(昭和36)年廃止。やっと1本化されました。
完成時の名古屋駅地下ホーム


江戸橋駅での標準軌・狭軌の接続


沿線のみどころ(最寄駅)

名古屋城・徳川美術館・熱田神宮・大須観音・東山公園・名古屋港水族館・名古屋ドーム(名古屋)、長島温泉・七里の渡し・九華公園(桑名)、万古焼の窯元群(阿倉川・川原町)、諏訪神社・市立博物館(四日市)、海山道稲荷(海山道)、鈴鹿サーキット(白子)、白子観音寺(鼓ヶ浦)、偕楽公園(津)、津城跡(津)、榊原温泉(久居)


思い出の車両 モニ6201形

1928(昭和3)年、伊勢電気鉄道が新造した半鋼製電車。当時の形式はデハニ210形と称し、車体は両運転台付で伊勢電気鉄道としては初の17メートル長、片側3扉で、運転室の後には荷物室を設けています。1929(昭和4)年には養老線へ直通運転を行い、1941(昭和16)年にモニ6201形に改称。1959(昭和34)年に標準軌化し、後に再改軌して伊賀線に移籍し、さらにモニ5201形に改称。1977(昭和52)年を最後に全車廃車しました。

名古屋城(なごやじょう)は、尾張国愛知郡名古屋にあった城郭。尾張徳川家17代の居城。金鯱城、金城ともいう。城址は、現在の愛知県名古屋市中区・北区の名城公園。

伊勢音頭にも「伊勢は津で持つ、津は伊勢で持つ、尾張名古屋は城で持つ」と歌われ、大坂城、熊本城とともに日本三名城に並び称される名城である。天守に取り付けられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の町の象徴にもなっている。城地は織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の故地で、この城はのちの名古屋城二の丸の位置にあったとされる。

鳥羽線

第2次大戦後、鳥羽・奥志摩方面への観光客は増加の一途をたどっていました。しかし近鉄山田線は宇治山田駅が終点で、鳥羽方面へのアプローチは、バスに乗り継ぐか伊勢市から国鉄(現JR)を利用するしかなく、はなはだ不便を極めていました。その後、道路整備に伴い、宇治山田駅の高架ホームにバスストップを開設し、近鉄特急と連絡した志摩直通の特急バスを運行しました。
宇治山田駅高架ホーム、賢島方面行バスのりば


建設中の鳥羽駅 大阪で開かれた万国博覧会を前に、全国から訪れる観光客を伊勢志摩へ誘致するため、近鉄では鳥羽・奥志摩方面への鉄道線を整備することにしました。鳥羽線は1968(昭和43)年5月着工。大規模な機械を駆使して工事を進め、宇治山田〜五十鈴川間は翌年12月15日営業を開始。1970(昭和45)年3月1日には全通。同時に志摩線軌道拡幅工事も完成。これにより、大阪・京都・名古屋から鳥羽・賢島への直通列車の運転が可能になり、近鉄の歴史に大きなページを刻みました。
当初は単線で開業した鳥羽線は、その後の輸送需要の増大により、1975(昭和50)年12月には全線の複線化が完成しています。大阪・京都・名古屋から伊勢志摩方面へ向かう特急は、そのほとんどが宇治山田から奥へ足を伸ばすため、鳥羽線も山田線同様、特急の目立つ路線となっています。
宇治山田駅から鳥羽方を見た建設中の高架橋。将来早期に複線化するため、複線幅で構築

沿線のみどころ(最寄駅)
猿田彦神社(五十鈴川)、池の浦海水浴場(池の浦)、 海の博物館・鳥羽水族館・ミキモト真珠島・イルカ島海洋遊園地・金刀比羅宮鳥羽分社・鳥羽城跡・鳥羽湾の離島・石鏡・相差(鳥羽)


■おもな電車
23000系(伊勢志摩ライナー)
伊勢志摩の観光スポットへ旅心を運ぶ「伊勢志摩ライナー」。外観は、流線形のスピード感あふれる先頭部とサンシャインイエロー&クリスタルホワイトのボディカラー。6両編成(1部は8両編成)の車両は、デラックスカー、サロンカー各一両と、レギューラーカー4両から成っています。また両端部の運転席後部には、車窓風景が楽しめるパノラマデッキを備えています。

全面ガラス張りで海の底の気分が味わえるコーラルリーフダイビングゾーンや、アマゾンの一日をコンピューターで再現するジャングルワールドなど見所いっぱい。

人魚伝説のモデルとなったジュゴンやアフリカマナティなど約850種の海の生き物に会える「超水族館」。



鳥羽水族館は、昭和30年5月、妙慶川を挟んで鳥羽湾巡りの観光船が発着する岩崎にオープンした。開館当時は鳥羽湾の一部を取り入れた天然水族館で、近海魚50種300点の他、フンボルトペンギン、カリフォルニアアシカなどが飼育されていた。

現在の新館は、テーマ分けされた12のゾーンを持つ超巨大水族館で、室内型では世界的にも肩を並べるものが無いほどである(全長240m、通路全長1.4km)。
順路を無くし自由通路とした水族館で、そのため1日でも1時間でも時間に合わせて観賞することができる。中でも床以外は全面ガラス張りの透明ギャラリー「コーラルリーフダイビングゾーン」は大迫力である。

ジュゴンの飼育では、世界最長の飼育記録を更新中である。 

沿線

近鉄の時刻表と沿線風景をお知らせするブログです。
近鉄の素敵な車両と沿線の景色・食べ物をお伝えします。

近畿日本鉄道株式会社(きんきにっぽんてつどう、英称 Kintetsu Corporation)とは、大阪府・奈良県・京都府・三重県・岐阜県・愛知県の2府4県に跨る、JRグループを除く日本の鉄道事業者(民営鉄道)の中では最長の路線網を持つ大手私鉄。一般的には近鉄(きんてつ、Kintetsu)と略されて呼ばれている。かつては近日(きんにち)と称した(その他も参照)。多数の企業を擁する近鉄グループを抱え、様々な事業を行っている。本社所在地は大阪府大阪市天王寺区上本町六丁目1番55号。

大阪・奈良・京都などの関西圏(近畿地方)と名古屋、津、伊勢志摩などの中京圏(東海・中部地方)を結ぶ唯一の私鉄。営業キロ程は582.3kmに及ぶ(日本の私鉄1位。2位は東武の463.3km、3位は名鉄の445.4km)。日本の大私鉄御三家に数えられる。

Jスルー、スルッとKANSAIでカードに印字される符号はKTである。

近鉄の保有路線は、線路の幅では標準軌(1,435mm軌間)と狭軌(1,067mm軌間)、特殊狭軌(762mm軌間)の3つに分けられる。

近鉄の直系母体である大軌は、路面電車と同じ軌道線扱いで開業したため、同様の形で先行して開業していた箕面有馬電気軌道・阪神電気鉄道・京阪電気鉄道・京浜急行電鉄などと同じ標準軌を採用したが、同社が他社を買収して組み込んだ路線の多くは、内閣鉄道院〜鉄道省〜日本国有鉄道(国鉄)線と貨車の直通運転を行っていた関係で、国鉄と同じ狭軌を採用した(名古屋線系統各線や、田原本線のように、標準軌化した路線もある)。そして、762mm軌間の特殊狭軌線は軽便鉄道の流れを受け継いだものであるが、現在日本では三重県の下記近鉄線と、近鉄が三岐鉄道に譲渡した北勢線、それに専用鉄道を一般営業路線にした黒部峡谷鉄道本線程度しか現存していない。

電化方式は基本的に1,500Vの直流電化(架空電車線方式)となっているが、特殊狭軌各線は三重交通時代の流れを受け継いで750Vの架空電車線方式、けいはんな線は大阪市営地下鉄と直通運転を行う関係で(むしろ、大阪市営地下鉄の延伸を近鉄が担ったと見るべきものだが)750Vの第三軌条方式となっている。

また、関西・中部エリアでは唯一、JR2社(JR西日本・JR東海)の在来線管内を直接結んでいる。

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